「集中力」とは “好奇心” があれば無意識に発揮される力。大人になってようやく分かるファーブルのかっこ良さとは【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」4 〜集中力の正体〜
◾️ビジネスパーソンは幼少期の体験に今こそ学べ
さて、この本以上に、わたしたち一般人を楽しませてくれるものがあります。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』です。上下巻とあるのですが、その上巻には「ネコの地図?」という一章があります。物理学を専攻するファインマン君が、哲学と生物学を専攻する人たちのところに「鼻をつっこんだうえで、どこまでいけるものか、しゃにむにやってみる」エピソードが描かれています。
「鼻をつっこんだうえで、どこまでいけるものか、しゃにむにやってみる」。ファインマンさん自身が、これこそ自分の流儀だと説明しています。そしてこれは、彼が身を以て教えてくれる「集中の手がかり」になるでしょう。
原文を読んでみましょう。
《 I always do that, get into something and see how far I can go. 》
《get into something》、これは「なんにでも鼻をつっこむ」ということですが、「つっこむかつっこまないか」頭で考える前に、嗅覚が捉えたものにつっこんでいくというのは、それだけファインマンさんの好奇心が広大で敏感だったのでしょう。
そして、それだけ彼には《余白》があったのです。ただ一つのジャンルだけを見続けるのではなく他のジャンルへと飛び込んでいける余白。飛び込んだらそこで真剣に遊ぶ。真剣でなければ「どこまでいけるか 《see how far I can go》」は定かにはなりません。
「チャレンジが大事」というエールを耳にします。わたしも、このようなエールをしばしば送ります。しかし、「集中しろ!」などと叱り飛ばすよりも、「真剣にやろう」でいいのではないでしょうか。「好奇心」さえあれば、なにごとにも自ずと「真剣に」なれるでしょう。
わたしたちは、好きなことには手を抜きません。嫌いなことをしなければならないという事情も、よくわかります。しかし、毎日を「義務的な好きじゃないこと」で塗り固めてしまっては寂しい限り。
わたしたちのだれもが、「集中力」など問題にならないような集中ができることを信じ、自分固有の好奇心を開放していきませんか?
文:大竹稽